心の洗濯
2003年12月8日のんびりすごすことが はじめは苦痛だった
怖かったのかもしれない
今までずっとひまな時間を
深く考えるような時間を
作らないようにしてきていたから
でも 今は
ゆっくりと流れる時間を
心地よく感じる
ヒマになったら思い出すだろうなと
恐れていたことも実際にはそんなこともなく
今はぼんやりとした霧の向こうにすべてが
ぼやけてかすんでしまっていることを知る
傷ついたことも 苦しかったことも
泣いたことも 苛立ったことも
本当はすでにいろんなことが色彩や形を
失いはじめていた
不確かな記憶でしかなくなってきているのだ
確実に時間は過ぎていることを実感した
結婚を決めた昔からの男友達
出産を控えて母親になろうとしてる妹
いつもエネルギッシュでバリバリ仕事をこなして
夢の実現に向かって取り組む友人
そんな幸せな前向きな人たちと時間を過ごす
強いエネルギーをもらえた気がした
その光で目が覚めたような気がした
負けてられないや
そう思う自分がいた
少し前の私だったら
そういう人達と一緒にいるのは
ただの苦痛でしかなかっただろう
澄んだ冷たい水が滝をはげしく
そして時には優しく流れ落ちるように
心を洗い流す ゆるやかな時間
それが必要だった
新しい仕事は休みをとらずに
始めるつもりだったのに思いがけず休暇が取れた
きっとこういうタイミングで
気が付くことになっていたのだろう
人を憎んだり
自分をさげすんだままで生きてどうするのかって
自分を苦しめる原因は自分でばっさり切るしかない
過去はどうあれ 「過去」は「過去」でしかない
過去に苦しむより未来の自分のために苦しんでみよう
傷は残ったままでも 傷が時にはうずいても
強く明るくまっすぐ生きれればいい
まだ帰るのが少し怖いけど
難しくても やってみるしかない
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